昭和34年、戦後の焼け跡からようやく復興を遂げつつある日本に、朗報がもたらされた。 1964年(昭和39年)、東京オリンピックの五輪開催が決定した。しかし、問題があった。当時の東京の道路事情はまだ整備の途上だった。急激に増えた交通量に対応しきれず、幹線道路は軒並み渋滞。羽田空港から、オリンピック会場や選手村ができる予定の代々木まで、車で2時間もかかる。これでは世界中から集まる選手団や観客の輸送にも支障をきたし、“国民的一大イベント”オリンピックは、失敗の烙印を押されかねない。当時まだ計画段階だった「首都高速」に注目が集まった。しかし、オリンピック開催まで、わずか5年。通常のやり方では、用地買収が間に合わない。そこで考え出されたのが「空中作戦」。既存の道路や川の上にルートをとることで、工期を短縮しようというのだ。もちろん、そのためには課題も多かった。日本橋川の上で3層に入り組んだジャンクション、地下で合流するトンネル…いずれも前例がない。さらに羽田空港付近の工事は、地元漁師たちの強硬な反対にあって立ち往生した。こうした危機に、日本の技術者たちが総力を結集。大胆な発想と決断で、今までにない技術を次々と導入していった…。